私は知人に憧れの人や尊敬している人を聞かれ、とあるゲームキャラだと話したことがあります。
そのときは直接文句は言われませんでしたが、知人は明らかに引いてる表情でした。
(お酒の勢いで口が滑った私も大概ですが…)
オタク特有の早口でまくし立てず、箇条書きのようにわかりやすく説明しましたが、「う~んそうなのかぁ」と納得してない様子。
確かに、ゲーム・アニメキャラは空想上の人物(生き物)です。
しかし、その人に憧れ、がんばることのできる源になれば問題あるのでしょうか?
いや、そんなことはないはずです。
今回は先日ふと思い出したエピソードを元に、空想上のキャラクターへの憧れについて話していきたいと思います。
※数年前のことなので、記憶が少しあいまいな所はご了承ください
ゲームキャラに憧れながら重い病気と闘った少女
アニメ・ゲームキャラは人生で追い詰められた状態でも希望を差し出し、踏み出す勇気をくれることがあります。
数年前、私はTwitterであるアカウントを見つけました。
そのアカウント名は「ホシクジャク」。
アイコンもフラワーナイトガールにでてくるの「ホシクジャク」にしています。
最初はただ単にその子が推しなのかなと思いましたが、ログを見てみるとそんな単純なことではないことがわかりました。
そのツイッターの主の少女(性別・年齢不詳なので仮にそう表現します)はどうやら命に関わる重い病気と闘っているとのことらしいです。
少女は自分の姿を幼い頃のホシクジャクを重ねて、今の自分ができることを精いっぱいしていました。
ホシクジャクとは?
ホシクジャクは「フラワーナイトガール」というゲームにでてくる最高レアリティのキャラクターです。
性格はとてもに明るく、熱いハートを持っているボーイッシュな女の子。
しかし幼い頃は体が弱く、入院をよく繰り返していました。
そんななか、世界を守る「花騎士」たちが彼女を励ましてくれたそうです。
今は病気を克服して憧れの「花騎士」になり、次は彼女自身が多くの人に希望を与えるために日々がんばっています。
ホシクジャクのおかげで強くなった少女
彼女は自分が大変な境遇のなかにいるにもかかわらず、いつもポジティブなツイートをしていました。
口調も「ホシクジャク」に近づけているため、まるで本当にそのキャラがツイートをしているかのようなように見えます。
また、投稿した内容をみていると自分の病気について逃げ出すのではなく、きちんと向き合っているようです。
それだけ見ていても、すごく強い方なんだなと感じました。
それだけその少女にとっては「ホシクジャク」の存在が大きかったようです。
「自分もホシクジャクのように強くありたい!」と思い続けた結果なのでしょうか。
また、少女のポジティブなツイートは多くの人に元気を与えます。
その当時、私自身も「命に関わることと戦っている人もいるんだから、自分もがんばらないと」とその少女のことを考え、自分を奮起させていた時もありました。
もしかしたら彼女は世界中に希望を与える「花騎士」として素質があったのかもしれませんね。
そんな少女のツイートを見ながら誰もが「その少女はいつか元気になり、将来ホシクジャクのような活躍をしてくれるだろう」と思っていました。
少女の最期
ある日彼女のツイートを見てみると、初めて「少し怖い」というつぶやきをしていました。
どうやら、病気が少しずつその少女をむしばんでいるようです。
彼女のツイートにいつも元気をもらっているフォロワーたちは、「大丈夫」と彼女をはげまします。
その光景をみるだけでも気持ちがあふれそうになりますが、その反面、最悪の状況が私の頭をめぐりました。
その日、私も少女の様態がよくなるようにと祈った記憶があります。
しかし、現実は甘くないようです。
その数日後、彼女のアカウントにあるツイートがされます。
要約すると
「彼女は懸命に病気と闘いましたが、本日亡くなりました。ホシクジャクに憧れ、頑張ってきた彼女にこれまでたくさんの愛をありがとうございます。」
その瞬間私はチクリと心の刺さるものを感じ、どうしようもない悲しみにくれてることになりました。
しかし、彼女は大切な物を残してくれたことに、私は後で知ることになります。
少女が私たちに残してくれたもの
あれからけっこう月日が経ちますが、私は偶にあの少女のことを思い出します。
- 重い病気でも頑張ってたなぁ
- ホシクジャクみたいに明るいツイートしてたなぁ
- 元気もらってたなぁ
私は彼女のことを思い出したときには「彼女があのときに置かれた状況と比べたらなんとかなるさ」と考えています。
そう、今でも彼女は私たちに元気・勇気を与えてくれるんです。
まだ私の中には、その少女は生きているようです。
ま、今頃彼女は「花騎士」に転生して世界を救ってるかもしれませんね。
憧れの対象は誰でもいい
今回紹介したゲームキャラの「ホシクジャク」には以下の影響がありました。
- 追い詰められた状態でも希望を与えた
- 人を明るくふるまえるようにした
- 少女だけでなく多くの人に勇気を与えた
確かに彼女は亡くなってしまいましたが「もうだめだと思いながら過ごす日々」と「誰かに憧れて明るく過ごす日々」とではどちらがいいと思いますか?
また、他の人にもいい影響があったんです。
それを偏見で「おかしい」「気持ち悪い」と思うのは違います。
憧れることによってプラスに働くのであれば、対象は何でもいいんです。
- リアル・バーチャルアイドル
- 先輩
- アニメ・ゲームキャラ
- 俳優・女優
- 配信者・動画投稿者 など
今は昔よりオタク文化の偏見は少なくなってきましたが、いつか他のジャンルと同等の扱いをしてもらえる世の中になっていただけることを切に願っています。
追記:これは私の備忘録。忘れたくない記録
少女が大好きなゲーム
ほんでは